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町制施行70周年記念式典 町長式辞

印刷ページ表示 更新日:2025年11月11日更新

町制施行70周年記念式典 町長式辞

 昭和三十年一月一日、下船渡、外丸、芦ケ崎、中深見、秋成、上郷の六村が合併し、新たに津南町が誕生いたしました。それから七十年、本年この節目を迎えられましたことは、先人のたゆまぬ努力と、町民の皆さまをはじめ多くの関係各位の温かいご支援とご協力の賜物であり、心より深く感謝申し上げます。

 創設当初の昭和三十年代、津南町はまさに豪雪との闘いの時代でありました。除雪機械や消雪パイプが整備されていないなか、人々は屋根の雪下ろしや道踏みを重ね、家を、地域を、そして町を守ってまいりました。時は流れ、技術の進歩とともに雪国の暮らしは大きく様変わりし、今では四季折々の自然と共生する豊かな地域社会としての歩みを続けております。

 町は合併以来、「農を以って立町の基と為す」を町是に掲げ、昭和四十八年度より国営苗場山麓開発事業を中心に農業基盤の整備を進め、安全・安心で高付加価値の農産物生産や森林資源の有効活用により、農業を基幹産業とした町づくりを進めてきました。

また、先人たちは、それまでの農業と建設業が主な産業であった町に加え、観光交流で町の将来が開けることを期待し、誘致に励み、昭和六十年に大規模年金保養基地「グリーンピア津南」がオープンしました。平成十七年からは、国から町に所有が移り、公設民営として以後、今日まで観光振興と雇用創出に大きく寄与してまいりました。しかしながら、将来的な町負担や今後の町づくり計画等を見据えるなか、現在は新たな運営方法として民間譲渡による新たな再生へ道筋をつけているところです。

 社会基盤整備の面では、平成二十三年に国道一一七号線の難所を克服する「大倉トンネル」が開通し、長野県と新潟県を結ぶ重要な交通の大動脈として機能しています。また、灰雨地区では令和五年に新トンネル掘削工事が完了し、早期の開通が期待されております。さらに、平成二十二年度には下水道事業など衛生環境の整備が完了し、住環境の向上にも大きく貢献いたしました。

 平成の大合併が全国的に進められたなかにあっても、津南町は自立の道を選択し、町民とともに独自の発展を遂げてまいりました。私が平成三十年に町政をお預かりして以来、「希望と愛、参加できるまちづくり―未来をつくる子どもたちのためにいま、立ち上がろう―」を町政の理念に掲げ、各分野の政策に取り組んでおります。

 「希望のまちづくり」として、農業の担い手育成や新技術導入に力を注ぎ、令和元年には“雪下にんじん”がGI認証を取得。令和五年には「米・食味分析鑑定コンクール国際大会inつなん」を開催するなど、農業と自然に根ざした持続的な地域づくりを進めております。また、歴代町長のご英断で、本年十月には津南町埋蔵文化財センター「うもれあ」が開館し、「文化立町」としての新たな歩みも始まりました。

 「愛あるまちづくり」では、地域医療体制の強化や福祉の充実を推進し、若手医師の受け入れ、在宅介護手当の拡充、子ども医療費入院無償化、障害者グループホーム開設支援などに取り組んでまいりました。教育においては、GIGAスクール構想による一人一台端末整備や苗場山麓ジオパークを活かした学びを進め、令和九年には三小学校を一校に統合し、より魅力ある教育環境を整備いたします。

 「参加できるまちづくり」として、令和四年に「まちなかオープンスペース『だんだん』」を整備し、商店街の活性化や交流人口・関係人口の拡大に努めております。

 七十周年の節目を迎えるにあたり、私たちは新型コロナウイルス感染症や能登半島地震などを経て、社会のあり方を改めて省みる時期にあります。本年は第六次津南町総合振興計画および第二期まち・ひと・しごと創生総合戦略の見直し年でもあり、町民の皆さまとともにこれらを検証し、将来世代が夢と希望を持てる持続可能な町づくりを進めてまいります。

 結びに、津南町の発展に貢献された全ての皆さまに深く敬意を表するとともに、これからの町の躍動する未来に向けて、町民の皆さまとともに盛り上げていくことをお誓い申し上げまして、町制施行七十周年を迎えての言葉といたします。

令和七年十一月三日

津南町長 桑原 悠

式典1 式典2


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